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友達がいなくて寂しい、なんて話はよく聞くけれど、いないならいないでいいんじゃないか。

とりあえず寂しい気持ちを紛らわすために、無理につまらない友達と過ごすよりは、
一人自分と対話してる方がずっと楽しいことではないだろうか。

僕は「孤独を愛する」ことは大事な事だと思う。
そう言うとどうも僕がまるで、寂しい人間のように思う人がいるけれど、孤独であることと寂しいことは違う。
孤独を愛するとは、自分を愛するということである。
自分を愛するとは、自分自身があるがままの自分を受け入れ、自分自身と対話することである。
自分とは、自分にとっての大事なこと、深い深い問題について、どこどこまで付き合ってくれる、
最良のパートナーでもあると、僕は思う。

そもそも自分さえ愛せない人が、他人を愛することがどうしてできるのか?
「自分自身は嫌いだけど、(家族愛とか友情とかひっくるめて)愛している人はたくさんいるよ」って
言う人もいるかもしれない。
けれど、それは心から愛していると言えるだろうか?

さっき僕は自分を愛するとは、あるがままの自分を受け入れることだと言った。
自分と他人との関係の中で、愛し愛されるのはもちろん自分と他人である。
だとすれば他人を愛し、他人から愛される自分を、自分自身が受け入れなかったら、
人を愛することはできない。
なぜなら、「愛し愛される自分」を自分自身が拒絶してしまっているからで、
それは人を愛することも、人に愛されることも拒んでいることになる。

だから自分のことは嫌いだけど、愛している人はいるって人は、
いやいやながら結局は自分を受け入れているか、本当に愛しているわけではないかのどちらかだ。


僕は愛するとは、「対象を無条件で受け入れること」だと思う。
だから、相手を目的のための手段、という条件付きで付き合うというのは、
本物の関係では無いと思っている。
きっかけはともかくとして、「お金回りがいいから」とか「寂しさが紛れるから」「彼女が欲しいから」とか、
ただそれだけでくっついているのは、ただの損得関係だと思う。

本当の友情、本物の友達とは、そういった打算とは無関係に、
相手を受け入れることができる相手のこと。
打算とは無関係だから、お互いがお互いに大事だと思うことをじっくり話し込めることができる関係。
もしあなたがそんな相手に出会えたならば、その人は今まで対話してきた自分に代わる、
最良のパートナーとなるだろう。

よく友情が壊れた、愛が壊れたなんて聞くけど、本物の愛は壊れない。
なぜならお互いがお互いに相手を無条件に受け入れているのだから、
「自分と相手」という関係さえあればよく、貧しくなろうが病気になろうが死別しようが、
「自分と相手」という関係は少しも揺らがないのだから、壊れることはない。
壊れた愛や友情というのは、どこかで打算の働いている、
所詮いつかは壊れるものだったということであって、くよくよ悔やむようなことではない。


孤独を愛し、自分を愛し、自分自身を受け入れ、自分にとって大事なことを深く話しあうこと。
まずそれが大事なのであって、他人の評価なんて気にすることはない。
自分が自分を肯定できているのなら、他人に悪く言われてもどうということはない。
逆に自分が自分を許せないのなら、他人がなんと褒めようと許してはならない。
自分を愛すること、大事にすることとは、決して自分を甘やかすことではなく、他人に流されないことだ。



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2011.04.07 10時間睡眠
最近よく寝ます!春眠なんちゃらこうちゃら!
メイプルの方は混沌の書が高騰してて凄いってリア友さんに聞いてから
営業許可書買って売りさばいたっきりでログインしてないけれども、
ここのブログは毎日見に来てるよーと報告してみる
IEと一緒に開くとメモ帳が応答なしになるようなスペックのノートパソコンを使っているから
メイプルなんて重い物は入れたら死んでしまうのが悲しいところ。
でも、いつか復活したらその時はよろしくお願いしますです。

春休み最終日で宿題たんまり残ってるのでサラダバー!
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